スバルA-5
秋の陽光につつまれた週末、そこは静かで異様な熱気につつまれた一角となった。
場所は群馬大学桐生キャンパス。そこを会場とするクラシックカーイベントは盛況を迎えつつあった。
会場の中心地に置かれたのは2台の「トヨタ2000GT」
文字通り日本を代表する正真正銘のヘリテージカーだが、話題を集めたのはむしろその隣においてある1台の見慣れない4ドアセダンだ。
一瞬二代目「トヨタコロナ」を思わせるサイドビューのその車は、正面にまわると文字通りこちらの意表をつく表情を見せる。
古き良き未来。とでも形容したくなるような60年代特有のおおらかで、親しみのある造形は当時の人びとが思い描いていたであろう「近未来テイスト」を加味し、不思議な魅力を放っていた。
明るい午後の光を受け文字通り輝やくその車に、私はたちまち魅了されてしまった。
車を取り巻く数名のスタッフは「スバル」のジャケットに身を包む。
車名を明示したプレートを確認すると、「スバルA-5」とあり、かって富士重工業が試作した車両のようだ。
早速その正体を確かめるべく、キーマンに取材を試みる。
「トヨタ2000GT」に劣らぬ存在感を放つ「スバルA-5」。近年修復され、ボディは艷やかにリペイントされている。
※なお「スバルA-5」で今web検索したところ、ちょうどこの車の沿革を解説したサイトがあった。
メーカー公式のサイトではないものの、この車を理解するのに重要と思われるのでここにアドレスを記します。
ご関心のむきはぜひご確認ください↓
ーーー「すいません。この車に関してお話を伺いたいのですが」
こちらの不躾な質問に対し、スバルのサービスクルーからは終始丁重な回答を頂いた。
ーーー「この車は自動車ショーに展示されたショーカーなのでしょうか?」
「ご質問ありがとうございます。こちらは生産を前提に試作された車両です」
「モーターショーに出品したことはありません」
ーーー「生産前提に作られたプロトとなると、だいぶ開発が進んでいたのですね」
「その通りです。この車を使用してさまざまなテストが行われたのですが、結果的に開発は中止となりました」
ーーー「それはいかなる理由だったのですか?」
「資金調達ができなかったのです」
かってスバルが「P-1」という意欲的な車を開発したものの融資銀行の承認を得られず、計画中止となった話をこのとき思い出す。
プレートを見ると製造年は1962年とある。
「もともとアメリカ市場向けに電気自動車として開発がスタートしたのですが、それの国内版としてガソリンエンジン車の開発も進められ、結果的に電気自動車の計画はキャンセルとなりました」
このあたりの経緯は上記リンク先のサイトで触れられている。
やはり、というか常に環境車構想が飛び出すアメリカ、カリフォルニア州がぶち上げた電気自動車構想だったようだ。
ーーー「電気自動車とは意外ですね。日本では戦後一時期、電気自動車が流行った時期もありましたが。当時のアメリカといえば、それこそ7リッターV8のモンスターカーが跋扈した時代と思います」
「当時アメリカでは大気汚染が社会問題化していて、その対応が自動車メーカーに求められていたようです」
「ただ技術開発は難題だったみたいですね。当時は燃料電池の開発も行われていたとか」
ーーー「この時代に燃料電池ですか?」
「ええ」
調べて見ると、燃料電池車の構想は意外に古く、すでに昭和40年代にGMが試作車両を完成させていたようだ。
とはいえ当時の電池技術を考えると、早々に構想が頓挫したであろうことは、想像に固くない。
フォードタウナスに似ているという指摘のあるフロントビュー。バンパーの形状は似るが、やはり独特な顔つきだ。
ーーー「スタイリングについて質問なのですが、Cピラーあたりの造形が「トヨタ・コロナ」(PT20)とよく似た印象を受けるのですが」
「それはクリフカットの印象だと思います。当時世界的に流行したデザインで、こちらの車両でも取り入れられたようです」
確かにこのデザインを採用した車はこの時代に多い。
日本で有名なところと言えば、「マツダキャロル」あたりだろうか。
とはいえ、ピラーに取り付けられた金属製のガーニッシュなどは、コロナでも同様な処理が採用されており、やはり気になるところだ。
一見「コロナ」に似ている印象を受けたサイドビュー。こうしてみるとだいぶ形状は異なる。ルーフが崖のように張り出し、リアウィンドウガラスが逆スラント状に取り付けてあるのがクリフカットの特徴だ。
「トヨタ・コロナ」(PT20)。「A-5」と比べると三角窓等ウインドウ枠の煩雑さが目立つ。Cピラーにはアルミ素材の金物が取り付けられ、リアウィンドウは通常の傾斜角である。
一方ピラー付け根部分に取り付けられたウインカーランプはあまり見たことがない独特な配置で、市販車というよりはモーターショー専用の"スペシャルカー"ぽい雰囲気を感じさせる。
ピラーにウインカーを取り付けるアイディアは、「シトロエンDS」あたりの影響と考えるのが自然かもしれない。
ピラーの金属製ガーニッシュ等もDSで似たような処理をしており、もしかするとこのあたりは「コロナ」ともどもその影響をうけた部分なのではないか。
Cピラーに取り付けられたガーニッシュ。メッキ仕上げで美しい光沢を放つ。ピラーの付け根に位置するウィンカーランプが珍しい。
「この車はスバルで初めてサッシュレスドアを採用しています」
「日本ではかなり早い時期の採用例ではないでしょうか」
スバルが伝統的に採用しているサッシュレスドア。
そのルーツは、この車から始まっていたようだ。
日本でこの時代に採用された例は勿論なく、市販車では「スバルレオーネ」が1972年に初めてサッシュレス4ドア車として登場している。
サッシュレスドアを採用したグラスエリア。三角窓を廃止、極めて明るく開放的な印象だ。
また、この車は他にも目新しい新技術が採用されている。
それが小型乗用車日本初のFF車、「スバル1000」(1966年)に先立つ同エンジン駆動方式の採用だ。
「スバル1000」。「A-5」で培われた技術をベースに市販される。外観は「A-5」と異なるが、こちらも個性的なデザインである。
ーーー「市販を前提としていた車の開発で、FFの採用は野心的ですね。P-1のようにコンベンショナルなFRの採用は考えなかったのでしょうか」
「当時のスバルは今までとは違った新しい技術を開発したいと考えていたようです」
「今までと違う物を作りたいと」
当時の技術者がFRの採用を嫌ったことは、先のWebサイトで解説されている。
それは空間効率の非効率性とプロペラシャフトの振動を問題視してのことだが、「新しい物に挑戦したい」というワードは、この後何度もスバルのクルーより繰り返される。
ちなみに初代「トヨタパプリカ」も当初FFで企画されていたが、途中でFRに変更されている。
やはり様々な技術的課題があったようだ。
またこの車はスバル初の水平対抗4気筒エンジンを採用しているのだ。
4気筒ながら全長の短いエンジンを縦置きにし、トランスミッション、デフを配置する。
スバル車の伝統的なエンジン、駆動系のレイアウトはここからはじまったのだ。
そう考えるとなかなかエポックメイキングな試作車で、感慨深い思いにかられる。
極めて低い位置に搭載されるエンジン。ボンネット直下にスペアタイヤを収納できるスペースがある。コアサポート位置のパイプフレームが少々貧弱な構造。
さらにもう一つ、この車の革新的なところは、スバル初のSOHCを採用したことだ。
日本初のSOHCエンジンはプリンスのG型(S41Dグロリア)であるが、その登場が1963年。
それとほぼ同時期にこのエンジンの開発を進めていたことになる。
ところがスバルが市販車でSOHCを採用したのは、このはるか後の1984年で、「スバル1000」ではオーソドックスなOHVを採用している。
「A-5」がいかに先進的な挑戦をしていたのかが、ここでも見て取れる。
「RRレイアウトも案としてあったのですが、空冷エンジンを採用するにあたって、最終的にフロントエンジンとなりました」
ーーー「やはりエンジンの冷却を考えると、フロントに置くのがベストとなったのでしょうか。「コンテッサ」のリアパネルをみると一面ルーバーの穴が開けられていて、RRの冷却の厳しさがわかります」
「そうですね。ただこの車に関してはオーバーヒート等の問題はなかったようです」
ーーー「ではこの車一番の技術的課題は、なんだったのでしょうか?」
「それはユニバーサルジョイントの開発ですね。振動や強度など、様々な問題があったようです」
「ただ、走行テストを重ねるなど、フィードバックを元に技術開発していけば、解決できない問題ではなかったと思います」
やはりFF車の開発で困難なところといえば、エンジンで発生した強大なトルクを駆動系に伝える複雑なジョイント部となるが、開発の目処はある程度見えていたようだ。
「この車の市販が実現しなかったのは、やはり開発資金の融資が得られなかったことが大きいですね」
ーーー「資金調達を考えると、リスクある新技術の採用より既に手にしている技術をベースにした、手堅い車作りのほうが有利だったのではないでしょうか?」
「そうなのですが、スバルとしては今までにない新しい技術でこの車を作りたかったようです」
何度か繰り返される「新しい技術への挑戦」というワードは、当時の日本政府による産業振興政策とも関連しているようだ。
(続く)
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